一人前の大人になるための試練

健康

「35番の方、どうぞ」

とうとう来た。私は緊張しながら、返事をした。そして、呼ばれた方へ歩いていき、検査室の扉を開いた。中には、検査技師と看護師が待っていた。

数年前、私が初めてバリウム検査を受けた時のことである。バリウム検査とは、バリウムという白いどろっとした液体を飲んだ上でレントゲンを撮り、胃の形や粘膜の異常を見つける検査で、私の会社では40歳から、バリウム検査が標準の検査項目に入っている、人間ドックを受けるように指示される。胃痛持ちの私としては、胃の状態が気になるので、会社負担で胃の検査を行ってもらえるのは、ありがたいことではあるが、私は、このバリウム検査を受けることが、憂鬱で仕方がなかった。なぜなら、それまでバリウム検査について、家族や友人、同僚など多くの人から、話を聞いてきたからだ。みんな一様に、つらく、大変な検査だと言っていた。

まずは、バリウムを飲むこと自体が、大変らしい。この世のものとは思えないほど、不味いそうだ。昔からバリウム検査を受けてきた父は、昔は不味かったけど、最近は色々な味を付けていて飲みやすいぞ、と言っていたから、改善はされているのであろうが、不味くて飲めないんです、と言っていた人もいたくらいだ。バリウムを飲んだ後はげっぷが出そうになるが、検査中はげっぷを禁止されていて、我慢しないといけないらしい。みんな、これが一番つらいと言っていた。検査が終わっても、安心はできない。バリウムは、お腹に残っていると、お腹の中で固まってしまうらしく、下剤を飲んで、便として出さないといけない。下剤による腹痛はつらいし、全部出し切れたか、心配になってしまう、という人も多くいた。

ああ、なんて、大変な検査なのだろう。バリウムを飲むのもつらい、検査もつらい、終わった後もつらい。しかし、みんな、嫌だ、つらい、という感情を持ちながらも、検査を受けて、そして、終えるのだ。そう思うと、バリウム検査の話をする人たちはみんな、それを乗り越えた自信を持っているようにも見える。私は、バリウム検査は、一人前の大人になるための試練のように感じた。一人前の大人なら、嫌なこと、つらいことでも耐えて、我慢しなければならない。よし、私もがんばって、この試練を乗り越えて、一人前の大人になってみせる。そういう気持ちで、検査の日を迎えた。

いよいよ検査室に呼ばれた私は、検査技師に、これを飲んでください、と言われて、白い粉と水を手渡された。思っていたバリウムと違うと思ってそう尋ねると、検査技師は、「それは、発泡剤と言って、胃を膨らませるものです。まず胃を膨らませてから、バリウムを飲んでいただきます」と答えた。

私は、ものすごく驚いた。ええっ?! 発泡剤って、何?! 今まで、たくさんの人からバリウム検査の話を聞いてきたが、そんな単語は初めて聞いた。バリウムの前に、こんなのも飲まないといけないのか、と内心とても動揺していたが、平静を装って、発泡剤を飲む。いや、飲もうとしたが、うまく飲めずに、床に吐き出してしまった。何だこれは? 焦る私を前に、検査技師は冷静に、もう一度飲んでください、とまた紙コップを差し出す。私は何とか気分を落ち着かせながら、もう一度、チャレンジしてみたが、ダメだった。また、吐き出してしまった。床を掃除する看護師にも、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。検査技師は、「もう一度、試しますか?」と聞いてきたが、私は、もう無理だと思い、「やめておきます」と言った。負けた、と思った。バリウム検査で、バリウムがゲームのラスボスとすると、発泡剤は中ボスといったところか。ラスボスに対峙することも叶わず、中ボスでやられてしまった。しかも、その中ボスは、他のみんなは、軽々と倒しているのだ。誰も発泡剤の話をしなかったということは、きっと、そういうことなのだろう。一人前の大人になる試練を乗り越えられなかった敗北感に打ちひしがれながら、検査室を後にした。

その後、他の検査を受けている間に、喉の辺りが気持ち悪くなってしまい、もしかしたら、発泡剤が少し入ってしまったのかもしれない、と不安になった。帰りに受付で、下剤をもらって、すぐに飲んだ。家に帰ってから、バリウム検査の顛末を夫に話すと、バリウムを飲んでいないのだから、下剤なんていらないんじゃない? と言われた。冷静に考えるとそうだ。一人前の大人になるための試練、私も乗り越えてみせる、と意気込んで検査に臨んだのに、今まで聞いたこともなかった、発泡剤が飲めなかったせいで、バリウムを見ることすらできなかった、というまさかの事態に、少なからず動揺していたのだろう。バリウムを飲んでもいないのに、間違って下剤を飲むなんて、バカみたいで情けない、と思いながら、夜中に一人、トイレで苦しむのであった。

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