なんでもない日々を大切に過ごしたいと思った花火大会の夜

イベント

「今年の花火大会は中止が決定いたしました。皆様、お気をつけてお帰りください」

ナイアガラの滝の後、いつもなら、すぐに次の花火が打ち上がるのに、なかなか上がらないなあとは思っていたのだ。そこへ突然の中止のアナウンスだ。私は、中止ということが信じられなくて、呆然としていた。

先日、いたばし花火大会に行ってきた。新型コロナウィルスの影響で、4年ぶりの開催である。私は、このいたばし花火大会が、とても好きだ。有料指定席を取ると、席も確保できて安心だし、何より花火を間近で見ることができるのだ。それは、私にとっては、花火大会を楽しむ上で大事なポイントだ。

私は、子供の頃、毎年、花火大会に行っていた。花火大会の会場の近くに、叔父が住んでいたため、親戚一同がそこに集まり、大勢で、見に行っていたのだ。子供だった私は、大きなゴザの上で寝転びながら、花火を見ていた。打ち上がるたびに体に響いてくる重くて大きい音を聞きながら、大きく開いた花火は、視界に入りきらないほど大きく、降ってくるようだった。子供だった私は、体じゅうで花火を感じ、夢中になっていた。そんな思い出があるために、私は花火は近くで、大きく見るに限る、と思っていた。

いたばし花火大会を知る前までは、人混みの中で、人の頭越しに小さく見える花火を見るようなことばかりで、もう、子供の頃のような花火を見ることはないのかなと思っていた。だから初めて、いたばし花火大会に行ったとき、また、大きな花火を楽しめると思って本当に嬉しかったのだ。

それ以来、毎年恒例で、いたばし花火大会に行っていたのに、新型コロナの影響でずっと中止で、私の夏の楽しみが、なくなっていた。

今年の復活はそれだけにとても嬉しく、気合も入れていた。浴衣を着るだけでなく、髪は美容院でセットしてもらい、今日だけは、いっぱしのオシャレ女子となって出掛ける。慣れない下駄だけど、花火への楽しみが膨らんで、どんどん歩ける。

会場に着くと、もう大勢の人が集まっていた。みんな思い思いに、フードコートで買ったたこ焼きを食べたり、ビールを飲んだりしている。みんなが楽しそうにしているのを見ていると私も楽しくなる。

とうとう、花火が上がる時間になった。観客全員で、カウントダウンを始める。みんなで声を合わせて、5、4、3、2、1、発射! 4年分が全部集まったような、すごい光と音だった。一斉に拍手が湧き上がる。その後も次々と花火が上がっていき、その度に観客の大きな歓声が上がる。順調にプログラムが進んでいったが、ナイアガラの滝が終わった後、様子がおかしくなった。

なかなか、次の花火が打ち上がらないのだ。おかしい。こんなことは今までなかった。隣の夫と顔を見合わせ、どうしたのだろうと言い合う。向こうのナイアガラの滝の方を見ると、なんだか、いつもより煙がたくさん上がっている気がした。すると大会本部からのアナウンスがあった。

「ナイアガラの滝で火災が発生したため、本日の花火大会は中止が決定しました」

まさか! そんなことがあるなんて、信じられなかった。アナウンスを聞いて帰る人もいて、やっぱり中止なのかな、でも、このままじゃ、なんかやりきれない。そんなふうに思っている人は多いようで、会場内には、まだまだ、大勢の人が残っている。火災を収めるために消防車が何台か、サイレンとともにやって来た。ああ、やっぱり中止なのかな、諦めかけていた、そのときだった。川の反対側で、花火が上がった。みんなが一斉に、拍手をして、大きな歓声が上がる。それはまるで、アーティストのライブで、アンコールに応えたアーティストが戻ってきた時のようだった。

その後も対岸で次々と花火が上がっていき、私たちはその度に盛り上がる。本当にライブみたいだ。そして私は気づいた。子供の頃の花火が楽しかったのは、大きく花火が見えたから、だけじゃない。きっと、父や母、祖母、叔父、叔母、従兄弟たち、みんなが一つの花火を見て、楽しんでいたからだ。みんなと一緒に同じものを楽しむということが、嬉しかったのだ。

大人になった今、それが、どれほど幸せなことだったのかと思う。子供の頃は、来年も再来年も、ずっと続くと思っていた、親戚中が集まって見に行く花火大会だが、祖母が亡くなった後は、集まること自体が減っていった。私を含め、子供たちは大きくなり、結婚してそれぞれの家庭を持つようになると、もう、そちらの方を優先するようになる。今となっては、親戚中が集まるどころか、父や母とさえ、もう一緒に花火を見ることはできないのかもしれない。

自分が大事に思っている人、自分のことを大事に思ってくれている人と一緒に過ごす時間は、限られている。それこそ、花火のように一瞬なのだ。今、なんでもないと思っている日常は、きっと、あとから見たら、かけがえのない時間だったと気づくのだろう。そのことを心に留めつつ、日々を大切に過ごしていきたいと思っている。

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