大手町での突然の出会い
「弟が危篤なんだわ」とさっき知り合ったばかりの名も知らないおばちゃんが言う。ぇ、そんな深刻な状況なのか……。それはリアル巨大迷路の大手町駅でほっぽり出す訳には行かないよな。
私と写真撮影の不思議な縁
私は『写真撮って下さい顔』である。旅行でもテーマパークでも遊びに行く時にはいつも隣にかべちゃんがいるはずなのに私の方が圧倒的に声をかけられる率が高い。別に写真の腕が良い訳でも、凄い高そうなカメラを持っている訳でもないけど。撮った写真がそんなに上手くないので毎回申し訳ない気持ちになる。
道を尋ねる人々との交流
『写真撮って下さい顔』は『道訊かれ顔』でもある。最近は外国の旅行者の方が多い。そんな外国人旅行者の方も私に道を訊いてくる。私の顔はごく普通の日本人風だと思うのだが、色々な国の方に道を訊かれる。外国の方は自分の国に自信があるのか絶対に日本語では道を聞いてこない。英語だったりフランス語だったり、何語かも良く分からない言葉で道を訊いてくる。なので、私も自信を持って日本語で答えるようにしている。だって、日本語以外話せないんだもん。それでも意外と通じ合えるので人間って凄いなと感心する。
旅先でも道を訊かれる。よほど地元の人に見えるのか有名な観光名所ではなく聞いたこともない地元の店や地名を訊かれるので困る。名所であれば旅行に来ている私も下調べをしているので答えることもできようが、地元の人しか知らないようなところを訊かれても答えようがない。それが隠れた名店なのであればこちらが教えて欲しいくらいだ。
丸の内で始まる新しい物語
4月1日。新しい期が始まり私も通勤場所が秋葉原の事務所から丸の内の事務所に変わったその日の出来事である。丸の内になったので帰りにアシックスストアでも行こうと定時ダッシュで人混みを歩いていたその時、後ろから声を掛けられた。「三田線はどっちですか?」振り向くと息を切らしたおばちゃんがいた。そこそこ早歩きで歩いていた私が追い抜いたタイミングで声をかけてきた。道を訊かれる時は目が合って、「ぁ、道を訊かれるな」と思うことがい多いのだが、振り返ったのは初めてだ。
東京駅の丸の内北口辺りだ。ここから三田線はかなり遠い。一キロくらいはある。慣れていないとよく分からない。説明するのもちょっと厄介だ。私も三田線で帰るなら一緒の道なので案内しようと思うのだが、今日は珍しくアシックス気分なのだ。朝からアシックスに行こうと決めていたのだ。どうしようかと悩んで、ここで言葉で説明しても難しいのでとりあえず分かりやすいところまで説明して別れようと考えて案内を始めた。
黙って歩くのもなんなので世間話をしていると「弟が危篤なんだわ」や「1週間前に宣告されて、今は麻酔でなんとかもっているんだわ」や「私のことを待っているので急がないと」や「ここで会えなかったら、一生会えない」などと聞かされた。それは一大事。そんな状態でリアル巨大迷路の大手町にほっぽり出せる訳が無い。三田線まで案内することにした。
病院への道と意外な共通点
三田線までの一キロの道のりの間にも色々な話をした。病院はどこなのかを訊くと「板橋なんとか病院」や「志村うえの? とかって駅の近く」などと心許ない答えが返ってきた。板橋中央総合病院と言えばかべちゃんが胆石の時に入院した病院だ。なんたる偶然。であれば駅は志村坂上だ。よく見るとおばちゃんの手のひらには油性ペンで沢山メモが書いてあった。知らない街の知らない病院だから電話口では正しく聞き取れなかったのだろう。
出身を訊いてみるとなんと名古屋だと言う。私も名古屋の出身ですよと伝えると、名古屋のどこか訊かれた。緑区ですと伝えると私も実家は緑区で篠の風だという! まさかのお隣。私は相川ですと伝えた。こんな偶然あるんだなと感心し、ほっぽり出さずに案内して良かったなと思った。
最後のお別れと道訊かれ顔の価値
おばちゃんを三田線まで送り届け、西高島平行きの電車に乗せるところ別れた。志村坂上には甥っ子が迎えにきてくれていると言っていたので降りる駅を間違えなければ大丈夫だろう。なんとか間に合ってくれることを祈る。これで弟さんと最後の言葉を交わすことができたなら、私の道訊かれ顔も捨てたもんじゃない。それにしても道訊かれ顔にもほどがあると思う。