ここから、どっちに行ったらいいのだろう。地下鉄の出口から出た途端、さっぱり、わからなくなってしまった。
もう10年くらい前になるだろうか。夫の祖母の法事に出席したときのことだった。法事は名古屋の熱田区にある、A寺という場所で行われることになっていた。私も夫も、実家は名古屋にある。私たちは前日から名古屋入りしたが、その時私は、夫の実家でなく、自分の実家に泊まり、自分の実家から、A寺に向かうことにしたのだ。
実家に着いて、夕食の後、A寺の場所について、地図を見ながら、父から、レクチャーを受ける。「ここが地下鉄の出口で、ここがそのお寺だ。そんなに遠くないよ。北に真っ直ぐ行って、2番目の信号を左に曲がれば、すぐだから、わかるだろう」と父は言った。さらに続いて、「北がわからなくなったら、お日様を見ればわかるから。お日様があるのは南だから」と言った。私は、「わかった」と、返事をした。その時は、本当にわかったと思ったのだ。その返事を聞いても、まだ心配そうな母が、「私も一緒について行く」と言い出した。1人でも大丈夫だと思ったが、ついて来てもらうことにした。
翌朝、あまり時間ギリギリに着くのでは、よくないだろうと思い、少し早めに家を出た。A寺の最寄り駅まではすんなりと着いた。駅の改札近くにある地図を見て、A寺の場所を確認し、一番近い出口を調べて、そこから地上に出た。地上に出たはいいけれど、A寺がどこにあるのか、まったくわからない。一緒にいた母に聞いても、わからないと言う。前日に父が言っていた、お日様を探すが、あいにく曇りでお日様は出ていなかった。どちらが北か、わからない。
地下鉄の出口はちょうど、十字路の中心にあって、4方向に道が伸びている。早めに着いたので、まだ時間はあった。4分の1の確率で、正解の道なのだから、と思って、1本の道を適当に歩いてみることにしたが、二つ目の信号どころか、信号は一つも出てこない。間違いだったか、と思って、地下鉄の出口へ戻る。他の3本の道を全部試すには、もう時間が残されていなかった。まだ、スマホは持っていないときだ。Googleマップは使えない。
母と2人、オロオロしながら、誰かに聞こう、ということになった。道行く人に、何人か声をかけてみる。ところが、誰も、A寺の場所を知らなかった。熱田区は、実は、寺が多い場所で、B寺とか、C寺なら知ってるんだけど、という人はいたが、申し訳ないが、私が知りたいのはA寺だ。そうこうしているうちに、もう、法事の開始時刻が迫ってきていた。仕方がない。私は夫に電話をして、迎えにきてもらうことにした。電話をすると、すぐに礼服姿の夫が、最初に適当に歩いた道の方から現れた。え? 私、合ってたのかな? でも目印の信号なんて、なかったけど。混乱する頭で、私と母は、夫の方に歩いて行った。母は本当に申し訳なさそうに、夫に謝っていた。そんな母を見て、私は、こんなふうに母に謝らせるくらいなら、1人で来た方が良かったと、情けない気持ちになった。夫は、「全然大丈夫ですよ」と言ってくれていたので、ありがたかった。
母はそのまま帰り、私は夫と、A寺に向かった。夫に謝りながら、少し歩いたら、すぐに着いた。もう、法事に参加する親戚は全員集まっている。お茶やお菓子の準備など、しなければならないこともあったようだ。みんなから、こんな開始ギリギリの時間にノコノコやってくるなんて、と思われていたに違いない。私は、恥ずかしくて仕方がなかった。天国のおばあちゃんにも、こんな嫁で本当にごめんなさい、と心の中で謝った。
このことがあるまで私は、自分が方向音痴だなんて、思ってもいなかった。初めての場所に行く時は、たいていは誰かと一緒にいたし、1人の時でも、適当に歩いていたら、何とかなっていたからだ。あんなに道に迷ったことは、後にも先にも、このときだけだ。よりによって、夫の親戚が集まる法事の日に、そんな目に合うなんて。
自覚したからと言って、そう直せるものではないのが、方向音痴だ。ただ、それからは、1人で初めての場所に行くときには、必ず、地図をしっかり見るようにしている。あの時夫から、「大きなビルとか、コンビニとか、わかりやすいものを目印にしたほうがよい」と言われたことを、忠実に守っている。それでも、3回に1回くらいは、迷う。私の方向音痴は、筋金入りなのだ。これも私の個性だと思って、今は受け入れている。せめて遅刻だけはしないように、時間には余裕を持って、行動するようにしたい。