走るのが大嫌いだった40代女子、横浜マラソンみなとみらい7kmランへの挑戦

ランニング

ああ、とうとう、この日が来てしまった。

2023年10月29日、私は横浜マラソンみなとみらい7kmランの、スタート地点にいた。

空は雲に覆われていて、雨が降りそうな気配だ。風も強く、肌寒い。2ヶ月くらい前に痛めた膝の調子も心配だ。途中でお腹が痛くなったら、どうしよう。フルマラソンと7kmランの分かれ道、ちゃんと分かるかな。そもそも、今まで7km走ったことは、数回しかないのだ。走り切ることが、できるだろうか。あれほど出場を望んでいたはずなのに、嬉しいどころか、不安や心配の方が、ずっと大きかった。

ランニングを始めたのは、2022年2月のことだ。夫の従姉妹が亡くなったことがきっかけだった。夫の従姉妹は、まだ40代で、私と同世代だった。亡くなるには早すぎる。私はとてもショックだった。そして、それまでの自分の人生を振り返ってみると、私は、何かをやってみたいと思っていても、お金がかかるから、とか、時間がないから、とか、心の中で言い訳ばかりして、結局、何にも挑戦してこなかったことに気づいた。でも、人はいつか、必ず死んでしまう。その時に、後悔はしたくない。そう思ったのだ。

私がやってみたかったことの一つが、ホノルルマラソンに出ることだった。大学生の頃、テレビ番組で、芸能人がホノルルマラソンに挑戦して、楽しそうに走っている様子を見て、私もこんなふうに、ホノルルを走ってみたい、と思って、ずっと、憧れていたのだ。ただ、私は、子供の頃から運動が苦手で、走るのも大嫌いだった。体育の時間の持久走は、いつも周回遅れで、もう走り終わったクラスメイトから、まだ走ってる、という目で見られるのが本当に恥ずかしかった。そんなスペックの私が、ホノルルマラソンに挑戦したいなんて、相応しくない夢だと思って、誰にも言ったことはなかった。

でも、私はやってみたいのだ。2022年の正月に、夫に、「実は私には、ホノルルマラソンに出たいという夢がある」と打ち明けてみた。すると夫は、自分も一緒に出ると言い出した。そして、フルマラソンは難しいかもしれないから、ホノルル・ハーフマラソンを目標にしようと言った。夫が一緒に取り組んでくれるなら、心強い。私は嬉しくなった。これから家の近所を走ったりして、少しずつ走れるようになったらいいな、そう思っていたのに、夫の次の言葉に耳を疑った。

「基礎から教えてもらった方がいいから、マンツーマンで教えてくれる先生を探そう」

そんな発想がなかった私は、とても驚いた。でも夫が言うように、今まで何も運動してこなかったわけだし、ちゃんと基礎から教えてもらったほうがいいのかもしれない。そして夫は、あれよあれよと言う間に先生を探し出し、レッスンの日まで、決めてしまった。もう後には引けない。自分で言い出したことだが、大変なことになってしまった、と言うのが正直な気持ちだった。

先生のレッスンは皇居で行われた。皇居ランなるものがあることは知っていたが、まさか自分がそれをすることになるとは、信じられない気持ちである。シューズの履き方から教えてもらって、準備運動、走り方のコツなど、丁寧に教えてもらう。それでも全く走れる気はしなかった。レッスンの仕上げは皇居一周5kmを走ること。絶対、無理だと思った通り、300mくらいで、もう走れなかった。一緒にレッスンを受けた夫は、5kmを走り切って、学生時代から運動をしている人は違うな、と思って、羨ましくなった。最後に先生に、どれくらいの期間、練習したら5km走れるようになるか、聞いてみた。すると先生は、週に1回の練習でいいので、半年くらいで、走れるようになりますよ、と答えてくれた。週に1回なら、できるかもしれない。そう思って、私はそれから、夫に付き合ってもらいながら、毎週練習をした。

すると、本当に半年後には、5km走れるようになったのである。そこで私は夫と共に、秋に開催される横浜マラソンみなとみらいラン7kmにエントリーしたのだった。毎週、練習する度に、走る距離が少しずつ伸びて、走るのが楽しくなってきた。横浜マラソンも、きっと楽しく、7km走り切れる。そう思っていた。

ところが、夏のある日、右足首を捻挫してしまった。会社の中を歩いている時、何もないところで転んだのだ。足はパンパンに腫れて、松葉杖生活になった。全治8週間と言われたのに、一向に良くならなかった。秋になっても、走るどころか、歩くのもやっとの状態だったので、結局、横浜マラソンは、欠場することになってしまった。夫は直前まで出場を迷っていたが、せっかくだから、と出場することにし、私は、応援をすることになった。

応援に行くのも、まだしんどいような、足の状態だった。びっこを引きながら、応援する場所を探した。天気は快晴で、青空の下、みんなが楽しそうに、走っている。私だって、本当なら、この中で走っているはずだったのに。悔しい気持ちばかりだった。そのうち、夫が走ってきた。とてもいい笑顔で走っていて、羨ましかった。来年は、出られるだろうか。足は、まだこんな状態で、もう一生走れないかもしれない。せっかく、思い切ってランニングを始めたのに。そんな気持ちで、去年の横浜マラソンは終わったのだ。

冬になって、ようやく、走る練習ができるような足の状態となった。また、歩きと走りを繰り返す練習から、やり直しだった。最初は、捻挫をした影響で、屈伸が辛かったり、足が痺れるような感覚があったり、以前と同じようにはいかなかった。それでも、毎週練習を続けていくうちに、違和感は薄れてきて、少しずつ長い距離を走れるようになってきた。今年こそはと、横浜マラソン7kmにエントリーをした直後、今度は、長い距離を走ると膝が痛くなるようになってきた。

痛いのを我慢して、練習をしていたら、歩くのも辛いくらいになってしまい、医者には、ランニングの練習を1ヶ月くらい休むように言われてしまった。もう横浜マラソンまで2ヶ月しかないのに、1ヶ月も休んだら、練習が足りなくなってしまう。でも、膝が痛かったら、横浜マラソンに出ることすらできない。欠場だけは避けたい。今年こそ、絶対に出たい。

仕方なく、1ヶ月間、ランニングの練習は休んだ。

横浜マラソンの1ヶ月前、やっと、練習を再開した。1ヶ月も休んでいたので、2kmくらいで、もう息が苦しくなってしまう。それでも、1ヶ月間かけて、なんとか7km走れそう、という状態には、することができた。

そうだ、やっと、この日を迎えることができたのだ。去年は、このスタート地点にすら、立つことができなかった。走ることが大嫌いだった私が、ランニングを始めた。そして、捻挫や、膝の痛みで走れなかった時期を乗り越えて、また走ることができるようになった。もう、それだけでいいじゃないか。走り切れるかどうかは、わからないけれど、とにかく、やるしかない! そういう気持ちで、走り始めた。

大勢の人の中で走ることは、初めてのことだった。周りの人とぶつからないように気を使いながら走るのは、大変だった。後ろからは、どんどん人が来て、抜かれていってしまう。焦るけれど、なるべく、自分のペースで走るように、心がけた。アップダウンもそれほどなく、4kmくらいまでは、膝の痛みもなく、心肺もそんなに苦しくなかった。ところが4km過ぎたあたりから、少しずつ、心肺が苦しくなってきた。去年、私が夫を応援していた、5kmあたりでは、まだ後2kmもあるのかと、気が遠くなった。去年の夫は、この地点でもすごく笑顔で余裕があったように見えたのに、私は、こんな状態か、と思うと情けなかったが、仕方がない。元のスペックが違い過ぎる。ペースがだんだん、落ちてきた。気力を振り絞りながら、走り続けたが、6km地点で、心肺が辛くて限界で、歩くことにした。やっぱり私には走ることは向いてないんじゃないか、なんで、こんな大会にエントリーしてしまったのだろう、7km、も無理ならハーフマラソンなんてもっと無理だ。もう、棄権してしまおうかな。とぼとぼ歩きながら、マイナスのことばかり頭に浮かんでくる。そんなときだった。

「7kmなんて、楽勝だね」「フルマラソンも行けるんじゃね?」こんな会話をしながら、後ろから来た男子4人組が、私を抜いて行った。きっとこの人たちは、子供の頃から運動してて、走るのが嫌いなんて、思ったこともない人たちなんだろうな、とそう思った途端、私はまた、走り出していた。走るのなんて、大嫌いだった。でも、挑戦したいって思ったんだ。あと残り1kmじゃないか、何とか走り切ってやる。自分でも驚くような気力が湧いてきた。

最後の直線に入ると、ゴールが見えてきた。あそこまで走るんだ。気力だけで走って、とうとう、7kmを走り切った。

飛び跳ねるような、嬉しさはなかった。ただじんわりと、静かな達成感が込み上げてくる。去年、夫がもらっていた、完走記念のメダル。リビングに飾ってあるのを見るたびに、私は、羨ましくて仕方がなかった。今年、ようやく私は、それを受け取ることができた。去年の忘れ物を、ようやく取りに来ることができた。そんな気持ちだった。

先にゴールしている夫と合流すると、「ホノルルハーフマラソンに出る日が近づいたね」と笑顔で言われた。そうだった……! 私は、ホノルルハーフマラソンに出るために、ランニングを始めたのだった。ハーフマラソンは21km、今回は7km。まだ、3分の1しか走っていない。元々、運動していなかった私だから、あと、何年かかるかは分からない。でも、300mしか走れなかった私が、7km走れるようになったのだ。続けていれば、ハーフマラソンも走り切れる日がきっと来る。それを目指して、夫と2人、また、がんばっていこうと思う。

コメント

  1. 走る仲間 より:

    がんばったね!おめでとう!挑戦することに意味があると思ってる。
    人生は自分の力だけではどうにもならないことが多い。
    マラソンは自分のペースで、自分と向き合う時間だと思う。
    走り始めたら何で苦しいのに走り続けるのか疑問が、頭をよぎる。
    それは生きていれば誰しも思うことだろう。
    走る中で濃縮した人生を感じれる一幕でもある。ゴールしたときの達成感、開放感で全てが報われる。
    私はそんな人生にしたいと願い走るだけ。

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